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様々な意見が飛び交う中、私はどういう想いや考えを持っているのか・・・
「マルコの想い」と称して、少し考えることをまとめてみました。
考える機会
私自身、銃について何か書いてみると言っても、偉そうなことを語れるほどのものでありません。
偉そうなことを語るには、まずそれなりに広い視野と全体をうまくいかせようという考えを持ち、自ら行動し、その結果として皆さんの賛同が得られていることが必要と考えています。そうでなければ、語る言葉もたいした力をもちません。
よって語る訳ではないのですが、様々な意見が飛び交う中でこの瞬間一体自分はどのような考え方を持っているのか、少し整理してみる機会としました。
このHPをみられている方も僅かですがいらっしゃいます。その方々には、私の考えを書くことで、今後も興味を持っていただけるのかの判断材料にもなるかもしれません。
また、反対のご意見も頂くことで、私自身も少し成長するかもしれません。
思い起こしてみても、自分自身の状況や取り巻く環境によって、考え方というか考える順番は変わっています。
なので今後も少し変遷はありそうですが、今の考えとしてまとめてみることにしました。
銃を持つ上で大切と思っていることは、何なのか?
私はエドもマタドールもかなり好きです。そういう私にとって、何が一番大切なのか?まずはそのへんから考えてみました。
意外とポジティブなものではなく、どちらかというと・・・しない、だったのですが・・・
一番は、自分が銃を持ったことによって、他の方を危険にさらすことがないこと。
銃が存在しているとも知らない方さえ、たくさんいらっしゃると思います。
私にとって銃は、やはり趣味の領域なんだと思います。生活がかかっているわけでもありません。
当然ですが欲望の結果として、他の方を少しでも危険にさらすことはあってはいけないとういことがまず浮かんできます。
二つ目は、社会にあって当たり前ではない銃が、日本で存在し続けることを危険にさらすことがないこと。
日本では、銃は社会にあって当たり前のものではないと思います。
社会にあって当たり前でないものが、社会に健全なスポーツとして、また社会貢献の方法として存在し続けるには、多くの人が存在し続けるように努力しているからと感じています。
そういう状況を忘れてしまい、自分だけよければそれでいい、今がよければそれでいい、もし全員がそういう考え方になってしまったら、銃は日本で存在し続けられないでしょう。
やはり社会にどうして銃があることができるのかを考え、それをちゃんと受け止め、今後も銃があり続けられる社会の一員としてどうあればよいのか、考えている必要はあると思っています。
考えた結果の形は、人それぞれですし、変わることもあると思います。なので、考えた結果としてこうでなければいけないと言いたいのではありません。
ただ、質問されたときや、自問自答したときに、はい!と答えられるように考えておきたいということです。
その行動は、銃と社会の共存を続けさせるものですか?
本当に自分でもそう思ってますか?
他の方にもそう思ってもらえそうですか?・・・と、聞かれたときに・・・
はい、自分なりに、と。
三つ目は、家族のため、自分のために、銃を持つ自分自身が安全であること。
いうまでもないです。
自分の趣味で、自分だけに危害が加わったのだから自己責任でしょ、ではすまされないと私は思ってます。
皆さんもそうだと思いますが、私にも家族を幸せにする責任もありますし、子供を育てる責任もあります。その責任に対し無責任であるということは、私はできないのです。
マタドールは?
いつになったら、マタドールが出てくるのか?
自分でも少し意外でもありましたが、欲しいもの、好きなものリストではマタドールは上位にきますが、大切なもリストではそれほど上位ではなさそうです。
なぜなのでしょう?考えているうちに、ある程度しっくりくる例えを思いつきました。
それは、「スパイス」です。
スパイスは大好きだし、ものすごくこだわりもあるし、絶対に欠かせない、という人もいます。
そんな人でもスパイスだけは食べないし、スパイスだけ食べたいとは思わないのでしょう。
私にとってマタドールは、メインディッシュではではなく、きっとスパイスなのです。とっても好きなのですが・・・
でも、好きなあまりついついメインディッシュ思ってはいけないと、考えています。
銃を持つ
成人であって資格を取っていれば責任能力はあります。
でも、資格を取ったからといって、ずっとそのレベルでいいと言われたわけではないと思うのです。成長することを前提にスタートポイントにたつというミニマム要件を認められたものだと思っています。
であれば、銃自身を如何に入手するかという手段よりも、ちゃんと安全に成長できるスタートポイントに立つこと、そしてその後楽しく成長できる環境が先にあることが、とっても大切だと思っています。
その環境は人それぞれかも知れませんが、私の場合は、安全に使うための情報やアドバイスを提供してくれるコミュニティ・お店・先輩と一緒にいることであったり、同じ趣味を語ったり切磋琢磨する仲間といることであったり、サポートを受けられる環境であったり、自分の探究心の満足させることであったり、いろんな要素が考えられます。
一方手段にこだわって何が得られるかというと、なかなか手に入らない銃か、費やした労力だけ安くなるとうことでしょう。
ここで考える順番としては、「銃を持った後でどのような環境にありたいかをイメージ」して、その後に「銃を考え」、さらにその後に「購入手段を考える」ではないかと思うのです。
もちろん、このサイクルの中でどこにウェイトを置くかは変わってきますし、一度ではきっと収束しないとは思います。
でも銃や購入手段にこだわりすぎて、銃を持った後でどのような環境にありたいかがお座なりになり、その結果自分が思うものと違う環境がずっと続いたり、私がはじめにかいた大切と思うことを犠牲にする可能性があるなら、それは本末転倒と思うのです。
また、一つの視点ですごくよさそうなものが見つかったからといって、他のことを考えずに答えを出すのは拙速と思うのです。
いろんな方の意見も聞きながら、サイクルをぐるぐる回し、自分にあった答えを見つけることが大切なのではと思うのです。
エドガンクラブについて・・・
ある程度はっきりしているのは、エドガンクラブは環境を提供できないこと。
情報交換の場ではありますが、私が銃を持つのに必要と思っている有機的なつながりをもった環境ではありません。
このHPでは主に銃の情報を扱います。銃に込められている思いから、技術的に優れているところ、格好いいところ、私が好きなところ、等々。でも、それだけで頭がいっぱいになって欲しくないのです。それは料理ではなく、スパイスです。
そして、一体全体どうすれば銃を安く手に入れることができるのかという手段を考えるだけで、頭がいっぱいになって欲しくもないのです。もちろん買えなければ始まらないのですが、だからといってそれが全てではありません。料理でもスパイスでもなく、長期的にみればどこに買いに行くかぐらいの話だと私は思っています。
ということで私は「料理」と「スパイス」と「スパイスの買い方」は違うと思っており、しかしながら私は主に「スパイス」の情報を提供しているということをご理解頂いた上で、このHPを活用頂きたいと思います。
まとめ
まずは大切なものは忘れずに、独りよがりにならずにコミュニティともつながり、どうしていくのがよいか今後も考えていこうと思います。
私自信、スパイスだけにおいかいだらよかったんだけど料理がデタラメだねぇ、ほかの料理とあわないし、変な後味しない!?なんていわれることないよう努めていきたいと思います。
そして、エドガンクラブが将来的にはこうあったらいいなというイメージは、少しばかりできてきました。
ただ、ちょっとばかりすごい銃を持った方の集まりでなく、
ちょっとばかりすごい銃を持ってるけど、それはスパイスです!ぐらいのいえる人達の集まり
闘牛士という名前を持つマタドールに振り回されてますって感じはなく、
オーナーとしてマタドールを従えてますって雰囲気の人達の集まり、
そして、マタドールオーナーとして他の方からも一目置かれる人達の集まり
そんな集まりになればいいなと、思っています。
マルコ